『キャッツ』の結末は、非道いと思う。
※ネタバレ大いにあります。
『キャッツ』
観たことはなくても、タイトルを知らない人はいないくらい有名なミュージカル作品。
ずっと観たことがなくて、猫がたくさん出てきて楽しそうなイメージがぼんやりとあった。
『キャッツ』を観たきっかけは、劇中歌の『メモリー』を歌いたいと知り合いからピアノ伴奏を頼まれたことだった。
伴奏は苦手で、アンサンブルを楽しむ気持ちよりも、迷惑をかけてはいけないというプレッシャーを感じてしまう。
真面目に取り組まねばと、DVDを購入し観てみた。
予備知識なく観たので、「ジェリクルキャッツって?」、「っていうか、ストーリーは?」と戸惑った。
とにかくジェリクルジェリクル言ってる。
ジェリクルキャッツとは、人間に飼い慣らされることを拒んで生きる猫たちだとのこと。
ストーリーは、ジェリクルキャッツの中から、生まれ変わることを許される1匹の猫が選ばれるという大筋があるものの、ジェリクルキャッツが一匹ずつパフォーマンスを披露するショー的な感じ。
観終わっての率直な感想は、
えーーーーーーーーーーー?!
納得いかないんですけどーーーーーーーーー!!!
これが未だに再演され続けているのか・・・
でした。
※『メモリー』は文句なく素晴らしい名曲です!
また、各シーンの芸術性も本当に素晴らしいと思います。
大人気作品に物申すのは本当に気が引けるというか怖いのですが、言うだけ言わせてもらいたい。
選ばれたのは、かつては美しい娼婦だったけれど、今は容色衰え皆から蔑まれていたグリザベラという猫。
グリザベラが嬉しそうに天に昇っていった後、グリザベラ以外のみんなで歌い踊って幕となる。
めでたしめでたし感が強いけど、
いやいやいやいやちょっと待ってくださいと言いたい。
蔑まれていた立場から、羨まれる立場になったとしても、
仲間に入れてもらえないことに変わりはない。
生まれ変わらなければならないのか。
グリザベラのまま、幸せな晩年を過ごすことはできないのか。
本当の救済は、仲間に入れてあげることだと思う。
また、過去を悔い改めればやり直せるという希望があるとされていたりするけど、そもそも娼婦であったことを悔い改める必要はないと思うし、もし娼婦を悪いとするならば、需要のないところに供給は生まれないのだから、買った人が反省すべきことだと思う。
すでに大昔から指摘されていることだけど、娼婦として扱うことも差別だけれど、聖女として扱うこともまた差別なのだ。
願いはただ1つ、対等に扱ってくださいということ。
この問題は根が深く、LGBTに関してもありがちで、
LGBTを自分のアクセサリーのように見る人がいる。
正直に言うと、私にもその気持ちはわかる。
自分の人脈が広いことが自慢というか。
一方で、私自身が自分のセクシュアリティが消費されていると感じた経験もある。
下にも上にも見られたくない。
ただ対等に。
それが願いです。