良いことも、悪いことも、次々にやってくる。
『良いことも、悪いことも、次々にやってくる。』
これは、3年くらい前から意識するようになったこと。
「良いこと」が訪れてほしいと思う時の「良いこと」って、ある程度平和なときにプラス要素として訪れて、その後しばらくそれを噛みしめる時間があって、みたいなイメージをしてしまいがちだけれど、実際には、良いことも悪いことも次々に訪れて、幸せとも不幸とも普通とも言えない状況に身を置くことが少なくない。
昨日は、仕事で成果を上げることができた一方で、給湯器が壊れてお湯が使えなかったし、問い合わせなどしてバタバタだった。
幸せは別に噛みしめなくても問題はないけれど、不幸は対処が必要だったり、忘れようとしても忘れられなかったりと煩わされる。
今日は、給湯器が無事なおって、修理費も無料で済んで(昨日は5万くらいかかると言われてテンション下がっていた)、あー良かった♪とけっこう喜んでしまったけれど、マイナスから0になっただけであり、0に戻すエネルギーはやっぱり損しているので、良かった出来事には入らない。
意識して幸せを味わわないと、バランスが取れない。
実は、このブログをはじめた翌日、飼っている文鳥の体調が悪くなった。
ブログをやってみたいと思いはじめて1年が過ぎ、このままグタグタともう1年過ぎてもおかしくなかったのに(腰が重すぎる)、よくやった!と自分を褒めていたのだけれど、文鳥の体調が悪くなった途端、全てがどうでも良くなった。
全ての中には当然ブログも含まれる。
幸せより不幸の威力の方が強い。
幸い文鳥は何でもなく、心底ホッとしているけど、病院に連れて行くのも物凄く大変だし(愛鳥の嫌がることをするのは辛い)、お金もかかるしで、やっぱりエネルギーをとられてしまう。
不幸が起こった時に、高確率で頭に流れる曲がある。
何でもないような事が 幸せだったと思う。
(作詞・作曲:高橋ジョージ 1993年 THE 虎舞竜『ロード』より引用)
本当に名曲。
好みとは言えないけれど。
(『文鳥様と私』の今市子先生も、漫画の中でこの歌詞が浮かぶとおっしゃられていた。そして好みではないけど、とも・・・。同じ気持ちです、先生!と嬉しかった。)
きっと一生のお付き合いになる曲なのだろう。
些細なことでも幸せを噛みしめるようにしているけれど(便座が温かい。なんてありがたいことか、とか・・・)、「いざ」が起こらないとなかなか本気では思えない難しさ。
次々と訪れる、幸不幸。
不幸にはできるだけ淡々と冷静に対処して(命に関わることとなると成すすべがないけれど)、できるだけ幸福を味わうよう心がけたい。