私は貧しい箱入り娘
不惑を迎えんとするのに、実家に頼って生きている。
本来私が払わなければならないものを、払ってもらっていたりして。
実家が裕福かというと、決してそんなことはないのだけど、私が甘えられる程度の余裕はあるというか、ズルズルと甘えてしまっているというか。
しかし、親のこの先も心配なわけで・・・。
こうして書いているとダメ感がすごい・・・。
流されるままに就いた仕事は、楽しいしやりがいもあるけれど、いかんせん不安定。
さらに、諸事情で仕事を減らして半年経ってしまった。
春までになんとか今後のための種まき的な努力をしなければならないが、上手くいく保証なんてない。不安。
でも、フルで働いて貧しいわけではないので、完全に私の怠慢としかいいようがない。
よって、時間だけは、働き盛りにも関わらず、ある。
1年前にはアフィリエイトも考えて、Wordpressに登録したりもしたけれど、切羽詰まってはいないので(でも貯蓄ができない&貯蓄をちょっと切り崩してる的な・・・)、無理矢理100記事目指したり、SEO対策を勉強したりという努力ができなかった。
キーワードに縛られてタイトルを付けたり、言葉を選んだりするなんて楽しくなさすぎる。
パソコンって説明通りにいかないことが多すぎて、何をするにも億劫になってしまう。
はてなブログはすぐに始められるということだったのに、独自ドメイン設定の説明がわからなすぎて大変だった。
一事が万事すんなりいかない。
このブログだって、アフィリエイトのことも考えないわけではないけれど、そっち方向の努力はあまりできなさそうだし、PVの方がすごく励みになりそうだとは思うものの、結局は自己満足だなと思う。
恐ろしいくらいおしゃべり欲求があるくせに、友人知人が少ないせいで(・・・)話す機会も少ない上に、流れに関係なく話すわけにもいかないから、ブログというものはなんて有難いものなのだろうと思っている。
好きなことばっかりしている。
不安は感じつつ。
曲がりなりにも1人暮らしをしているのだけど、昔は無駄遣いなのではないかとか、実家に住んで将来のために貯蓄した方がいいのではないかと何度も思ったが、それは年を重ねるにつれ、好きにしていてよかったと思うようになっていった。
時間も若さも有限で、経験というものの価値を年々感じるようになるから。
ナンシー関が潜入取材ルポをした『信仰の現場―すっとこどっこいにヨロシク』という本がある。
私が読んだのは、たぶん20代前半のころ。
大学生だったかもしれない。
ナンシー関が確かクラシックのコンサートに行って、そこに来ている若い女性を評して、「お嬢様のようだけど、本当のお嬢様ではない感じ」といったようなことを書いていて、「それ、私のことだ!」と、なんとも言えない気持ちになると同時に、やっぱりナンシー関最高!とその鋭さに膝を打って感じ入り未だに忘れられないのだけど、
私は未だになんかそんな感じ・・・。
ぬるま湯に浸かっている。
小倉千加子によると、ぬるま湯とは決して気持ちのよい湯加減ではなく、湯から出ると寒く、かといって浸かっていても温かくなく、少しでも動くと寒く感じる湯加減で、出るに出られない辛いものだとのこと。
その状況を脱するには、思い切って出るか、湯を温めるかしかないのだと。
それを知った時には、人生の例え話として参考にしていたのに、なんとその後、実際の入浴でこれを体験することとなった。
彼女と付き合い始めのころ(もう10年も前)、当時彼女の住んでいたところがお湯をまとめて沸かして使うシステムで、うっかりするとお湯が出なくなることがあったのだけど、一緒にお風呂入っているときにそれが起こってしまい、まさに小倉千加子の言う通りだということを、身をもって知った。
本当にどうしようにもない感じだった。
そのときはお湯を温めるという選択肢はなく、思い切って出た。
今は、できればお湯を温める方向でいきたいと希望しているが、如何に?