「私」は、ただ「反応」しているだけ。

アラフォー独身女子(彼女はいます)。「人生これでいいのか?」と思いながらも、「毎日楽しく暮らす」のが1番の望み。

今日は、雨宮まみの命日

 

ちょうど2年前、2016年11月15日、

雨宮まみが亡くなった。

40歳だった。

 

知ったときにはまず驚いて、少し泣いて、

少し泣いたことに驚いて、

しかし、その後どんどん悲しくなっていき、

結局、1日3回くらい号泣する日が数日続いた。

 

パートナーは完全に引いていた(笑)

私が、「能町みね子は、1日15回くらい泣いてるって!」と弁解したけど、

友達でも何でもない私がそんなに泣くのはおかしい、と言われた。

 

確かによくよく考えてみると、その通りなわけで。

なぜこんなにも悲しいのかと考えた。

 

私はそのとき37歳で、

雨宮まみの著作を読んだり、連載コラムを楽しみにしていたけど、

全ての著作を読んでいたわけではなかったし、

雨宮まみの恋愛に対する熱には全く共感できなかったし、

のめり込みすぎることもなく、適度な精神的距離のある「好き」だと思っていた。

 

でも、自分の少し先を、雨宮まみが歩んでくれているということに、頼もしさを感じていた。

それは自覚していた。

 

しかしそれが、連日号泣するほどだったとは。

 

人生まだまだ長いという気持ちの一方で、

人生の選択肢が狭まっていく感覚も否応なく感じていた。

諦めたり折り合いをつけたり。

 

昨日、クロ現で終活特集をやっていて、いろんな人が紹介されていたけど、

40歳の人もいた。

孤独死が怖いとか、墓仕舞いとか、遺言とか。

 

私だって、そりゃ考える。

戒名いらない!その分みんなで楽しいことしてほしい、とか・・・。

 

でも、40歳でそんなこと考えたくないよなとも思う。

 

雨宮まみが、自分の欲望に忠実にファッションを楽しんでいたり、

パーティーを開いたりしている様子に勇気づけられていた。

 

白いドレスを纏って、レリゴーを歌いながら登場。

はじける笑顔。美しくて美味しい料理。友人たち。

 

私も、「ちょっとしたパーティー」を開きたい!と思った。

真似して40歳のバースデーパーティーを開こうと、ホテルの宴会場を検索したりもしていた。

友人に、「こじゃれたパーティー開きたいんだって?」と言われて、

「こじゃれた」は違う!と怒ったりしていた。

 

ボルドー色のパンプスやバッグを買ったりもした。

 

私は、ワクワクしていた。

 

年が明けたら私は40歳になるけれど、

金銭的な問題でパーティーはできなさそうなんだけど(悲しみ)、

楽しいことをたくさんしていきたい、そういう姿勢で生きていきたいと思う。

 

雨宮まみが亡くなってからしばらくして、私がノートに書きつけた言葉、

 

 

  雨宮まみの思いに共感しつづける。

  彼女の死で、心折れたりはしない。

 

 

あれから2年。

雨宮まみが好きだった宝塚で、「BADDY」という衝撃的なレビュー作品が誕生した。

 

宇宙服で登場するトップスター、マライヒみたいな色男、男役同士の美しいキス、キャピキャピの娘役トップ、海老の被り物、怒りのロケットダンス、妖しく美しい舞踏会、ハチャメチャに楽しいテーマソング、わけがわからないストーリー展開。

 

楽しくて、毎日観ている。

これを雨宮まみは観られないんだなと思ってしまう。

 

 

生きていないとね。

 

好きな恰好をして。

美味しいものを食べて。

良い作品に触れて。

可愛い小鳥を愛でて。

おしゃべりを楽しんで。

たくさん笑って。

 

雨宮まみを思い出すとき、

当時のワクワクしていた自分の気持ちも思い出す。

 

いつか、ちょっとしたパーティーを開きたいと思う。