昨日、「アメトーク」を見ていたら、パンサーの菅が、新宿2丁目に通っていて、恋愛対象として同性もありかもしれないと思っていると言っていた。
気持ち悪いと突っ込まれることもなく、少し変わったエピソードとして捉えられているような雰囲気だった。
本音のところでは人それぞれどう思っているのかはわからないけれど、そんなことはとりあえずどうでも良くて、表面上、嫌悪感を表していないところが良かったと思った。
社会変革とはホンネではなくタテマエを変えること。
(上野千鶴子/朝日新聞2018年2月21日より引用)
上野千鶴子は、本質を突いた名言を生み出す天才だ。
タテマエを変えることが重要だという視点を得て、目から鱗というか努力すべき方向が見えた気がした。
セクシュアルマイノリティを公言しているタレントがたくさんいるようにみえても、おねえタレントが圧倒的に多くステレオタイプの域を出ていない。
セクシュアルマイノリティだからといって、人生相談が得意でも、辛口でも、ファッションや芸術に興味があるわけでもない人はたくさんいる。
あくまで私の狭い人間関係の中での感覚だけど、セクシュアルマイノリティの能力や趣味などは、セクシュアルマジョリティと全く変わらないだろうと思う。
セクシュアルマイノリティで不都合なことはたくさんあるけれど、よかったと思うこともあって、それは、セクシュアルマイノリティであるというただ1つの共通点だけで、本当にさまざまな人たちと出会うことができたこと。
そうでなかったら、同じような育ちの、同じような学歴の、同じような職業の、同じような趣味の人としか出会う機会がなかっただろうと思う。
私がこれまで知り合ったセクシュアルマイノリティの人たちは、会社員(事務・製造・大企業・派遣など)、経営者(規模は有名無名、大小さまざま)、医療福祉関係、公職、主婦(けっこういる。差別があるせいで偽装結婚が生まれる。)、バー経営、運送業などさまざまな職種だった。
多くのセクシュアルマイノリティの人にとって、テレビ等で活躍するセクシュアルマイノリティの人たちは、他のテレビタレントと同じく特別な人だと感じているのではないかと思う。
現在メディアなどで活躍している性的マイノリティを自認する方たちは、そのセクシュアリティをウリにしている人が多い。
それがなぜウリになるかといえば、珍しく特殊な存在だから。
また脚色も多分にされていて、エンターテインメントとして消費されている。
だからこそ、メディアを通して、そしてまたそれに影響を受けた人たちから差別を感じることは多々ある。
セクシュアルマイノリティのセクシュアリティがウリにならなくなったときに、本当の意味でのセクシュアルマイノリティの人たちの活躍が(メディア・芸術関係に限らず多分野にわたって、セクシュアルマジョリティと同様に活躍する様子が)、多くの人たちの知るところとなると思う。
まだまだメディアでは、「疑惑」とか「“ちゃんと”異性が好きです」とか、価値観の刷り込みが横行している。
相手の「ホンネ」を変えようとすると、こちらの心が擦り減る思いをしてしまうことが多いけれど、「タテマエ」を変えてほしいと要求することなら傷つきにくいのではないだろうか。
淡々と行動していきたい。